de-do | 室蘭情報 日日是好日

室蘭の良いところや、食事処を始めとした情報サイトです。
Home » 未分類 » 光と影

光と影

7月 20th, 2012 Posted in 未分類

以下、すべて例え話。そして駄文。っていうか毎回どれもが駄文。

例えば毎日御飯を食べさせてくもらうということについて誰かさんと「契約」を結んでいて
けどある日突然、意図してか、または何かがあったのか、とにかく反故にされてしまった。
つまり御飯を食べられなくなったってわけ。困ったね。
そこで訴える?契約違反だろ、って。
そういう措置は当然にとるんだけど、でもやっぱり当面は御飯は食べられないわけだ。
(賠償を命じる判断が下されたってそれでも食えるかどうかは別問題)
だったらとりあえずは他に契約先を探しゃあいいか、ってんで探すけど、
どういうわけか誰ももう契約なんかしてくれない。
じゃあとにかく買い出しにでも行こうか、ってことになって買い出しに行く。
ところがこれもまた困ったことに、諸般の事情で入手が困難になりつつある・・・・
これも困った。
「一体どうなってんだ!」なんて叫ぶけど、誰かに文句を言うけれど、でもやっぱり御飯にはありつけない。

好きに使える畑が偶然にも家の裏にあったとしよう。
いつ実るともわからない作物をその畑で育ててみるか・・・・・と思えるか。

まったく滑稽な仮定。けれど案外そうでもない気がしてね。

不幸にして自分の子供が学校で虐めにあった・・・・とする。
親が「学校さえしっかり見てくれていれば・・・・」なんて言う。
そうかもしれない。でもそうじゃないかも知れない。

学校は「すみませんでした」、教育委員会もそういった。「今後は監視を徹底します」と。
契約ではないけれど(まぁ私立ならそういう要素もなきにしも、か)
でも、親は何がしかの「覚悟」とかをもって、愛する我が子を預けるのだ。一定の時間。

学校の先生が「どうしてもわからない頭の悪い子に」注意の意味で手を挙げてしまった。
その子の本当の頭の悪さはわからない。先生の言い分の正当性もはだれにもわからない。
原則として義務と責任は一致しているはずだからして、そこは・・・悩ましいな。
一方、子供が常に真実を語るのかと言えばそこは大いに疑問が残るよ。
少なくとも「むかし、子供だったことのある」いま大人、の人、なら、その疑問は容易に想像できるよね。

でも、やはり単に先生がイカレテいて手を挙げたのかも知れない。誰にもなかなかわからない。

事の真偽はともかく。とにかくそれを問題視した親は昂然と「けしからん!学校は何をしてるんだ!」と怒る。
そしてやはり学校は「すみませんでした」と深ぶかと頭を垂れ、
教育委員会も「今後は監視を徹底します」と、きっと言うだろう。

不幸にして原発が事故を起こしてしまった・・・・とする。
誰かが「電力会社や政府さえしっかりしていれば・・・・」なんて言う。
そうかもしれない。でもそうじゃないかも知れない。

電力会社や政府は「すみませんでした」、何とか委員会もそういった。「今後は監視を徹底します」と。
契約ではあるのだ。一応。一人ひとりは詳細を知らない(知ろうともしない)けれど
使用に関しての約款を前提に、そして利用料金を払うことになってる。
でも、我々は何がしかの「覚悟」とかをもって、安定した生活と明るい未来のために電気を利用するのだ。
ほぼ一生。

電力会社と政府は「どうしても電力の安定供給が賄えない、停電でもしたら生命にかかわる」
そう言って再稼働を決断する。その正当性はだれにもわからない。
単に電力会社と政府がイカレテいてただ再稼働したのかも知れないがでも誰にもなかなかわからない。

それを問題視した電気利用者は昂然と「けしからん!電力会社と政府は何をしてるんだ!」と怒る。
けれど、電力会社と政府は「すみませんでした」と深ぶかと頭を【垂れない】。
そして何とか委員会は「今後は監視を徹底します」と言って【胸を張る】だろう。

引き続きだらだらと例え話。そして駄文、まだ駄文。

自分の見えてる側だけについて「アレが悪い」と断定する。みな同調してそうだそうだとそれを制限する。
自分の見えてない側からは違う問題が提起されるだろう。「で、コッチはどうするんだ?」と。
皆が皆、「じゃあ今度は(見えてない裏側にある)コッチを制限するぞ」となる。
自分自身は何事にも関与することなく、でもアレもコッチもを制限してしまって
そしていつか、自分自身に息苦しさがふりかかる。
そうするとまた「アレもコッチもないと何だか息苦しいぞ」と誰かが(恐らく自分も)言う。
あ~あ。めんどくさい。

何か放棄してないかね。

発電所は自分が建てたんじゃない、知らん、関係ない。だからけしからん。
気分はわかるけどね・・・でもそれじゃやっぱり話は何も前には進まない。それも困る。
困るしとにかく。
今現在、たとえば被害を受けてる人についての今後どうあってもらうのか、
みたいな話とさ、こういう話とは絶対に一緒くたにしてはいけないよ。
異なる次元で「困る」ことが多発するぞ。

こういうときに、官邸前や電力会社のオフィスビル前で「はんたーい」って言うのも好き好きだ。
でも
「そういうことよりか、まずは家の屋根にパネルでもつけて少しでも自家発電しとこうかね」
なんて思って行動できる方が物事は遥かに前進するんだと思うのだね。

「じゃあ、うちだけでやっても知れてるからこの辺りの家や建物、全部で」
なんて思ってあちこちに働きかけてる人は尊いし素敵だろ。(それが営利企業の営みだったとしても)
まぁ、これも好き好きだけどね。

物事には光と影があって、表と裏がある。
学校が子供の面倒をすべて見るなんて絶対にあり得ない幻想を抱くのも人なら、
その幻想を膨らませたのも人。
どの道、親がどうにもならないことを他人は代わってはできないだろうに。
いじめなんて何歳の子供がやったって愚の骨頂、アホだ。バカ過ぎる。ほんと腹が立つ。
(やられるのが絶対に許せないなら、やることはもっと許せないだろ)
そもそもそっちにだって親はいるだろうに。
子供に「学校なんか行かなくったって全然いいんだよ」って言ってあげる対応はナシか。

契約だろうと、そうじゃなかろうと、とにかくある日突然、「反故にされる(虐められる・事故が起きる)」
ってことは起こりうる。あっちゃいけなくたって起こることは起こってしまうのだ。
起こった原因は可能な限り理解されるべきだし、妥当な(←ここが大事だと思うけど)対策もされなきゃダメ。
でも。だからと言って光も影も消すような方向に、短絡的に向かっちゃ気持ちが悪いよ。
誰かに文句は言うにせよ、でもそれだけじゃ辛いものね。
やっぱり御飯食べたいなら(どんなにそれが飛躍してるように見えても)畑を耕すことに
心と身体を向けていかないと。

いつまでもあると思うな・・・学校や発電所・・・・か。
行政がやってることだから、国がやってることだから、制度上そうだから、
そういうことはそれでいいけど、でもどこかにちょっとだけ
「やってもらってる」
って思いも生かしておかないと、どれもが死んじゃうよ。
誰が主体で頑張ったにせよ「そんなに虐められるならもう全部やめますわ」なんて言われたら辛い。
(むしろ割り切って「ただ頭下げときゃいいんだからさ」なんて影でベロ出せれてたらもっと辛いね)

以上、長々と意味不明な例え話ですまぬ。ひどい駄文ですまぬすまぬ。

さて。全英OP二日目の放送が始まったー。
石川遼も藤本佳則も62歳のT・ワトソンも、そして(初日首位だった)A・スコットも皆頑張ってくれ。
想定した一打の結果が想定外だった時でも、そのギャップに焦らず怒らず冷静に対応している
そんな貴方達の姿が大好きなのであーる。

 

Comments are closed