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納豆だったと仮定して


今回は[とんかじょん](北原白秋)と、天草(熊本)はみなとしょうゆの[天翔]という
それはそれは美味しい醤油について触れようか・・・なんて思ったのだが止めときますわ。

つい先だって乗った飛行機での不快な出来事について。
後ろの座席に子連れが二組。あ~あ・・・・嫌な予感は的中するんだよね。
着席と同時にギャーギャーやってたけど、まぁそれはともかく。
案の定、背もたれをどかどかとやられて鬱陶しいったらありゃしない。
「ああ・・・いったい俺が何をした?」って。

と言うような、やり切れない悲しみと憤りが込み上げてきたところでCAがやって来た。
「お客様、この数列前の座席が一列空いております・・・
後ろのお子様がとても”元気がよ過ぎる”ようですのでもし宜しければお移りになりませんか?」
だって。
もちろん「移る」と即答。すぐに移動しやしたよ。ははは
っていうかさ、何で俺が移らされるんだ?って。

なんて思ってたら、女性漫画家の最近の話題を思い出してしまった。
(詳細はよく知らないけど着陸態勢に入ってから席を立ったんだっけ?)
いやいや、俺は航空会社にクレームなんかつけないぞ。
あ、ちなみに今日のはその話題(騒動とすら思ってないので話題ね)と同じ航空会社だったりします。

あたしゃクレームなんてめんどくさいことはしませんよ。
ただね、幼児が背もたれをどんどん蹴ったり押したりするくらいの行動は、
抱きかかえてる大人は当然に抑制可能だし、当然に抑えなきゃダメだろってことを、
その後ろの二組に対して言いたかっただけなのよ。
ぎゃーぎゃー喚くのもそりゃ度が過ぎれば「うるさい!」と言う人もいるでしょう。
でもね。だからって子供の口を塞げ、とは言えないよね。
でも、抱きかかえてる子供の手足のバタツキを前の座席の背中部分へ衝撃を与えないよう
工夫するくらいは全然できちゃうだろ?ってことですよ。

大人のルールを子供に押しつけて・・・・だなんて、これまためんどくさいことはまったく思わない。
そんなのあたりまえじゃないの。ね?
(だいたいそんな約束事、子供にわかるわけねーだろって。
もしかしてそういうことを本気で思ってしまってる大人がけっこういたりするのかね)

そもそもルールって、大人の観念で成り立ってんだから当然に大人が問われることでしょ。
(小さい子供にそんな理屈が通用するか?通用しないからこその教育とか躾なんじゃないのかね)

周囲の大人は諦めてそういうことにも大らかに対応すべき・・・はいはい。
そうだね。そうありたいね。
でもね、周囲が無条件に「いやいや、いいっすよ」なんて大らかな対応ばかりできるんだろうか。
その幼児の親や保護者自らが迷惑に先んじて
「背もたれ押して迷惑かけちゃってすみません」
くらいのマナーや気遣いができることが先ずありきの話なんだと思うけど・・・。

親である大人がそれすらもできないという次元の話に、
なんでそんな悲しい大人(親)をさしおいて子供だけを相手にして大らかになるんだろ。
あーこりゃこりゃ、と。

まぁね、腹立て続けるのも呆れ続けるのも、これはこれで本当にきっつことではあるのだが。トホホ

話がらっと変わって、人件費の削減は付加価値率を下げる、という話。
藻谷さんという日本政策投資銀行かどこかの偉い方が(読みかじりのうる覚えですが)
企業の付加価値額のことをどこかで書かれていて、
それは企業の利益以外に事業で使われたコストの一部も含まれてのものなのだ、と。
その一部は「地元」など地域に落ちる人件費等で付加価値額を増加させるのだ、と。
利益以外、ということの見方としてきわめてすっきりしましたね。
こういったコストは、地域経済全体で見れば大きなプラスでしょ?
地域経済が元気になれば結局巡り巡ってそいうことやってる企業の業績も伸びるんじゃない、と。
江戸時代の商売人が直感的にこのことをわかっていて「金は天下の回り物」と言ってたことも引き合いにされてます。
(自分が使ったお金は誰かの儲けに回って、その儲けがお金としてまた誰かに使われることで、
自分の儲けに戻ってくる。これこそが「経済感覚」なのだ、と)

ふむふむ、溜飲下げまくり。
こういう「巡り巡って」みたいなものを、個々がせき止め始めたらそりゃどうしたって今みたいなことになる。

そしてもうじき衆院選挙がやってきて、あーあ・・・また投票する先がないなー、と困ってます。

仮に日本を納豆だとしよう。(え・・・?)
納豆ってネバネバが命じゃない。ね?(俺はあの匂いも粘り気も大好きなんだけど)
ところで今時って、このネバネバ(巡り巡って的要素)を悉く無くす方向に向かっちゃってるんだと思うのです。
そうすっとさ、美味しくはないし、そもそも「なんだ、ただの大豆かい」ってことになる。

だから、あれだけ国のことを思う偉い方達(なんだよね?きっと)なのだからして
・この国はこれからも納豆で在り続けるべき
と叫んでるのか
・いやいや、もうこの国は納豆じゃないのでいつまでも納豆を懐かしがらずに大豆としてこれからの未来に向かうのだ
と叫びたいのか、何だかわからないのです。

もし前者なら、「金は天下の回り物」である前提を当然のこととして話をしてほしいし、
そうじゃないなら
「もうバラバラのマメでいい、粘んなくていいよ。だから個々のマメは個々のことだけをひたすら考えてくれ!」
と。更には
「その代り国はこれ以上心ある納税者の税金を無駄にはしないから、心ない方はそのつもりでね!」
くらいもはっきり言ってほしいよなー。

などと、くだらないことばかりうだうだと。
・子供なんだから仕方ないだろ、と居直る大人(=お詫びや気遣い一つできない大人)
であるところの大人を作ったのは、それ以前の世代の大人なのは自明。
よってたかって粘り気を削ぎ落としたんだけど、自分の子供たちはそんな粘らない社会で
「個々のマメは個々のことだけをひたすら考えていくぜ!」
となってしまって何やら想定外事象ってことなのか。
仮にそうだとして「いまの大人」はだからどうするんだっけ?個々のマメは個々のことだけでいくんだっけ?

って感じでさっぱり何だかわからんが・・・
・人件費の削減が付加価値率を下げる(=点だけで見た狭い利益は瞬間的に高まったとしても)
ことと
・日本は納豆だった(でも味噌でも何でもいい)けど、もうやめちゃうんだっけ?
みたいなことが私の中ではうにょうにょうにょっと繋がってしまってだらだら書いてしまいました。

まるで脈絡なく・・・
旧制室蘭中学校(今の栄高校)の校歌を作詞したのも「とんかじょん」こと北原白秋さんなのでした。

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