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あなたの町でも

3月 27th, 2011 Posted in すすめ!の学問 Tags:

昨年暮れ、某町・・・まぁつまり私の住まう町なのですが
(以下ではその町名を※※と表記します)
そこで市民討議会なるものがございまして、
とにかくどういうわけだか私がその準備や運営に関わる実行委員なるものを引き受けた、
のであります。

「市民討議会って何よ」
っていう部分の説明はここでは触れませんが
とにかく「市民参加」の一つの形(パブリックコメントとか)、くらいに思って頂ければよろしいかと。

で。
3/11の東北関東大地震があって、私個人は幸いにも帰宅難民化しかけた?程度で済みましたが
その後も私なりに色んなことを考え考え考え・・・考え続けてますけれど
だからといって、別にその考えが何かに繋がることはなく、
ただひたすらに「自分の暮らす町で万一同様のことが起きたら・・・」
したくはない想像だけれど、でも誰にだって(何処でだって)起こりうる
「現実」
ばかりを考えるのです。
隣近所の顔も名前もわからず暮らしてる今の生活ではたしてあのようなことが起きたら。。。と。

さて。
そんな考えをぐるぐると巡らせているとき、ふと去年の討議会のことを思い出しました。
別に討議会の中身のことが書きたいのではなく、
ただ、そういう一つの経験を通じて、暮らしてる自分と、その場所(同じく暮らしてる方達)の関係って
実は、ものすごく。物凄く大事なものなんじゃねーのかなー・・・って。
そう痛感しているのでした。

下記は、昨年討議会実施後にここ(de-do)にブログすべく書きかけていた
しょーもない駄文なんですが、今回あえてアップさせていただきます。
(ただそうしたいだけで深い意味は何等ありません、あるわけもなく、ありようもない)
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以下は討議会閉会時の挨拶から・・・・

「みなさん一人ひとりが※※です。※※を思うことが自分自身にも繋がってくる」
のような挨拶を、誰あろう、私自身が最終日の閉会の挨拶で述べさせていただいた・・・
のだそうです。
(当日参加されておられたどなたかがそのことを後日ブログに綴って下さった)

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自分でも、よくもまぁいけしゃーしゃーと・・・・と少々恥ずかしくもあるのですが
でも特に考えて言ったわけでもなく、ほぼ自然に口をついて出た言葉でした。

なぜそんなことを言えたのか?(臆面もなく言ってしまったのか!)
嘘偽りなく自分がちょっと感動できたから・・・それだけのことです。

私は元来が「市政」なるものへの(広義で国政も)興味が薄く、
まさかその市政に何か届けられないか、などと恐れ多くも
そのようなことを企図した市民討議会の実行委員になってしまうとは
まったくもって自分でも驚きの所業(応募)・・・でした。
(後日の中間報告会にいらした参加者の方々からも
「なぜ、こんな(実行委員)ことをしようと思われたのですか?」
と不思議そうに聞かれましたが、何の何の、私自身がまったく同様に疑問をもっているのです)

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応募した理由はいくつかあるものの、一つだけ触れると
「この町(=自分の暮らす町)の人々が、この町について話し合う風景(つまり討議会ですね)
ってどんなだろう・・・」
という詮無い興味でした。

私自身この町に住みつき20年を数えますが、「町(そこに住む人々、皆さん)」
について意識したことはほとんどなく
漠然と「町」とは行政(ほぼ市役所)のこと、くらいにしか思い浮かばず
「今年も税金をもっていくのね・・・」
という・・・誠にお恥ずかしい、そんな程度のものだったのです。

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が。
ふとした時に、そうじゃないだろう・・・と。
そもそも「自分も含めて暮らしてる人達がいての町(※※市)だろう」と。
そんな風に思ったようなおもわなかったような。

だから、
「この町の人々が、この町について話し合う風景」
を確認してみたかった、のかも知れません。

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さて、討議会における私の思惑は見事に成就(?)・・・致しました。
その風景をこの目でしかと拝見させていただき、話し合う方々の熱心な声を言葉を拝聴した次第。
良かったです。理屈抜きで良かったです。
そして討議会の準備に関われたことは本当に本当に良かったです。

お陰様で私の中の漠然とした「町(※※)」というイメージに、
今回の討議の風景はすっぽりと納まってくれたのでした。
結局そのことが「討議されてる方々の一人ひとりが「※※」なのだ」に繋がったのか・・・と。
もちろんその「※※」には実行委員である私たちも含まれていることは言うまでも有りません。
(一応私も市民のはしくれですし)

何だか取り留めないことばかりですが、そこは予め悪しからずご容赦頂き、
少々の希望めいた気分などをだらだらと下記させていただきます。

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話はまったく飛んでしまいますが(ひどい散文ですね、すみません)、
「天に唾する」なる諺(なのでしょうか?)があって、
子供の頃から両親や爺さん婆さんに口うるさく言われたものです。

市政に興味のない私も、町なかで不快なおもいをすることに遭遇すると
・・・例えば【歩道を我が物顔で突き進もうとするチャリンコに乗った人とか】
「何なんだー、この町(ほぼ狭義の行政・市役所などをさして)はどうなってんだ!」
などと独りごちる次第。

しかしながら結局これは「天に唾する」ことに他ならないのだな、と思ってます。
(さりとて、私自身文句を言えるほど立派な振舞は一切できておりません・・・・ただ、そう思うだけです)
何でもかんでも市役所(広義の行政)のせいにしても
結局そこから返ってくるものは「自分等の暮らし辛さ」なのではないか、と。

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さらに話を大きく逸らします。

いつぞや九州のとある山間部へキャンプをしに行った時のこと。
早朝、村の道路をてくてく散歩しておりましたが
すれ違う地元の方の大半の方が見知らぬ私に向かって
「おはようございます」
と挨拶(それも笑顔で)してくださるのです。

むかーしからごくごく自然にそうなのだと思いますが
とにかく私には新鮮で、素敵な(ある意味で凄い)習慣だな、と思いました。
勝手な想像(妄想)ですが、これは恐らく他所者に対しての適切な距離感を保つためのメッセージ?
(私は貴方にけして危害を加えることのない安心してもらっていい相手です、
だから、あなたも安心な相手としてこの村で余暇を過ごして下さいね、的な)
・・・だったのかと。

天に唾する=自治体や行政に文句を言うだけじゃいつか自分に跳ね返るよ

最近どういうわけか、そんなことをよく考えます。
つまり、文句ばかりじゃ悪戯に社会的コストが押し上げてしまって
巡り巡って自分の跳ね返ってしまうんじゃない?
ということでしょうか。
(ここでのコストは費用としての、でもあり、時間でもあり、個人のストレス量、でもあります)

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誰しも不平も不満もあって、私のような、所詮は安穏とした輩ではなく
切実な問題を抱えている方も多くいらっしゃるのだと思いますが、でも少なくとも。

例えば気軽に挨拶が出来る空間(挨拶をする意図は個人様々でも)
は様々な社会的コストもきっと下げられるんだろうなー、と思うのです。
第三者が介入しなくても、やたらと規制を設けずとも
そこを必要としない分だけそこにかかってるはずのコストは
より大事と思われるところへ(為政者がそれを間違えなければ、という条件付きで)
有用に使われるだろう、と。

何も私は皆さんに「挨拶しよう!」だなどと提案してるのではなく(そんなの毛頭思いません)、
自分が暮らす町がどんなで、そこに暮らす人々はどんな人々で・・・
と多少の興味をもってると、結果的に
「天に唾する前に、自分や自分達でもう少し何かできないんだっけ?」
という思いに至る人も少なからずいるのではないか・・・・

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ぐっと話は戻りますが、市民討議会は無作為抽出をその前提とし、そこが大きな特性でもあります。
声の大きい方だけが、関心のある方だけが(もちろん関心のあることはとても重要です)
そう都合よく集まって討議する、というわけにはまいりません。

同じ町の住民である、という共通項以外は、普段はほぼ何等関連のない方々が討議するものです。
討議会における足りなさは随分とあるし(一方でどれだけやっても「完成」もしないでしょうが)
色々あるけれど、
でも継続すること、そこに自らの意志で承諾して下さった方が足を運んで
初めて会った方々同士で会話する・・・
討議会がテーマに応じた提言をまとめる、当然のことですが
どんなに優れた市政への提言をまとめられるか、もさることながら
とにかく関心をもつきっかけの場として「定着する」ことが大事なのでは、と私は思いました。

定着し、様々な人々が関わり循環していく中で
「優れた市政への提言」
へも自ずと近付いていくでしょう。

けれどそれは「どこかの誰か」が制度設計や実行する性質のことではないようです。
自分達が「設計して」「実行する」ことでしか、前進しないと思うのです。
本当に難しいことですね。自分達の「開かれた討議会」を自分達が作っていくことって。

ですが、難しくてもそれが望ましい形のように思えます。
天に唾することより、どれほど有意で納得感を得られるか。
他人任せではなく、自ら暮らす※※をそこで暮らす方々自らが
「※※って何だ」
を掘り下げていける、そんな人々が暮らす町。(っていいよなー)
※※と言う町に「毎年、ごく自然にある討議会」になることを
この町に暮らす「一当事者」として(かなり本気で)願っております。

一方、実行委員をさせてもらった一個人の立場から申し上げますと
初めて会う方々(討議会に参加下さった方々)に私は自ら挨拶をし、
僭越にもその方達の討議まで(下手糞ながらも)補助までして・・・・
結果、以前よりこの町への好意ももてた気がしますし
わたしの中の社会的コストは幾許か引き下げられたのでは!?
それに関わる大変さを含めた多くのことを学べるという
大いなる「おまけ」がついていたことも付け加えさせて頂きます。

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とにかく。
昨年、市民討議会なるものに関われたことは良かったです。理屈抜きで良かったです。
そして討議会の準備に関われたことは本当に本当に良かったです。

も一つおまけに「楽しかった」・・・です。

共同作業とは、日々の仕事を通じてずいぶんと経験しているつもりですが
仕事のような「特定の利益」のためじゃない共同作業は随分と勝手も様相も違いました。
それは、とてもとても悩ましいもので、それでいてなかなか経験できない不思議なものでした。
(目標がゴールに到達するため、というより、営み自体、プロセスの継続自体が目標のような)

繰り返しとなりますが、私の如き
「町(市)」や「市政」や、「市民」とか「市民参加」「市民活動」とか・・・
そういうこととは常に距離を置いてきた人間からすると
(だって照れ臭いし、むしろ胡散臭いとすら思ってたくらいだし)

とても多くの発見があり、そして多くのことを考えさせられる素晴らしい機会を頂きました。
(だからと言って今後その距離を大きく変えるつもりはないし、私は私としてそれらのことを見続け、
時に気が向けば関わるだけ、のことですが)

でもそんな人間が、何の思いつきか、実行委員なる役を引受させてもらったことに本当に感謝しております。
ちょっとした思いつき(をした自分)を褒めつつ、
共にこの一年を悩み、考え続けて下さった実行委員諸氏の皆さまに
そして、当日会場にお越し下さったすべての方々に心から御礼申し上げたい気分です。

今後の討議会においても、一人でも多くの誰かが「ちょっとの思いつき」で
(まんまと!?)実行委員になって頂き、
そして討議会当日のその日まで「まだ見ぬ誰か」のために尽力を頂けたら幸甚かと・・・

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その後・・・・
先日※※の市長殿に実施報告書なるものを無事提出させて頂きました。
(約10か月携わったものが一冊に清書され、ただただ感慨無量です)

不思議なもので実行委員諸氏数名の間において、新たな仲間意識・・・のようなものが芽生え
その後も見事な「飲み仲間」としてお付き合いさせて頂いております。
本当にありがたいことです。

もちろん、飲むのは我らが町※※です。各々仕事をしてる場所も業種もバラバラだけれど、
でもわざわざ地元で飲んでることにかすかな充実感すら覚えております。

そして、その飲み仲間諸氏は一様にこの震災について
「もしこの町で起きたら・・・」
と、私と同様にただぐるぐると、とにかく考えておられる様子でもありました。

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