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あなたの町でも・・・りたーんず


一昨年お手伝いした市民討議会。
どこかで書いたけど今年も微力ながらもお手伝い。(ほとんど役にたってないけどね)

一昨年のそれはとても印象深いイベント(?)だったし、色々と考えさせてくれる私にとってのいい経験でしたが
今年のは更により一層の!?・・少々強烈な・・印象を深く刻みこんでくれるものとなりました。

ちなみに、今年お手伝いする基本スタンスは「呑み友達と呑めるから」に尽きます。(不謹慎!)
でもそれで十分。それ以上の難しい目的や動機めいたものは何も無いから。
地域とか社会とかって、実はたかだかそういう「付き合い」から発芽するもの?なんて勝手に信じてもいます。
(そもそもその呑み友達というのも一昨年のこれが縁になったものだしね)

以下ダラダラ書くけれど何等オチがない・・・はずだけれど悪しからず。

二年ぶりにやってみて
私個人が感じたことは前回とそお変りません。(昨年アップした「あなたの町でも」の通り)
「わたしもあなたたちも、私たちん一人ひとりがこの町です。
自分を考えることはこの町を思うことに繋がるし、この町を考えれば結果として自分自身のことにも繋がってくる。」
何を血迷ったのか(?)、おこがましくもそんな挨拶をしたのでした。
様々考えることはあったけれど、辿りつく実感はやはり今回も同様のものでした。

遠回りだけど
市民討議会というものをいきなり置いたところから。

自治
色んな解釈や定義があるんだと思うけど、私はよくわからないので「そりゃマインドだね」ってことで理解してます。
(乱暴過ぎか)
自律?出来るだけ他に依らない(と努力することが大事だろ、と思いつつ)
「自分は自分でこの地にどう暮らすのか」
みたいなことをぼんやりと思う、そういうマインドかな、と思ってます。

地方自治とか市民参加とか
どういう表現でもいいけど、そういうことが大事だねってことは私如き偏屈な奴でさえ疑いがありません。
ただ。ただ「自治」は自治なので、他者に「お前、”自治”れ」って言われてやっちゃうと
それって自治としてどうなんだ?となります。
だから、「自治が求められてる」とか言った時の
「「自治が求められてる」と言われている」とか
「「「自治が求められてる」と言われている」とされている」とかの
何だか際限のない(まるでマトリョーシカ的な?)伝言ゲームでとらえちゃうと
「どうやら俺は自治させられるらしい・・・」となって何だか意味不明に陥るかも。

だから
自治って「おれが自治なんだよ」って言わないとピンとこない不思議な難しいものなんだと思うわけです。
(聞く人が聞くと「何さまだ」ってとられかねない変な言い方だけどね)
別に独善的にとか、横暴にとかいうことじゃなく、そういう一人一人の「俺の自治」の表明が
相互に伝わって広がって、それで抽象的な自治のイメージになって
「だからこの町で俺たちは自治ろう!」になれば何となくいいんじゃないかね。

そういう土壌
を作ることが大事なんだけど、その「作る」も誰かがあんまり小細工しちゃうのもまたね。
なので、「どの、誰の自治が正しい」ということは決めない、つまり「自治の定義」は個々のものでいいので
「お前んとこの自治はどんなだい?」「おたくの自治の最近の調子は如何?」くらいの
とにかく話したり相手のを聞いたりとか、そういう場面が自然に風景に馴染めば
他者との自治の違いを殊更問題にせず(0にはできなくても)、
けれど「自治は大事だ、なきゃいけないね」となり土壌となる・・・かも知れない。

なので
住民は自分等の住まう地域の「自治に関わりたい」と自らのぞみ、
そして行政も「どうぞ住民の皆さん自ら自治ってくださいよ(それについて必要な金や機能を移譲してもいいから)」
という気運?情勢?合意?が先ず何よりも先にあることが大事かなと。
けして行政は「どんな自治をしなさい」とは言わない(言えないよね?それを言ったら自治じゃなくなるってわかってるから)
でも、どういう自治かはともかく、結果として行政負担の軽くなる方向になら大凡歓迎はするでしょうと。
だから、どんな形の「自治のための市民参加の手法や形態」であれ、
何にせよ双方・・・とは便宜上の表現で本当は行政vs市民のようなけして二項対立的なことじゃない、と思うけど・・・
の側に「自治はなきゃ、なきゃダメさ」みたいな思いが、どちらかだけのおしつけじゃなく
とにかくあるといいのではないか・・・。
と言ってる私はけっこうどっちでもいいと思ってる人です。

そうすると・・・
何某かの働きかけやきっかけも何か(無いよりは)あった方がいいか、とは思う。
パブリックコメントやら何とかミーティングやらいろいろあるみたいだけど(私はどれも関わったことないっす)、
そういう中でも市民討議会はなかなかに面白く興味深いのでは・・・・と思う。
その意味では、卵と鶏でいくと、やっぱり行政からかな、と思うのです。
行政は「何としても市民自らがまとめた意見に則って諸々の施策をまとめるのだ」みたいなね
よくあるオブザーバ的なことを期待して(一応市民も入れてアリバイ作りましたから)、とかじゃなく
何か具体的なことを望んでみりゃいいとは思うけど・・・
でもそれすら例えばよく整った平和で安穏とした町ではなかなかないんだね。きっと。
そこでそれを無理に課題化して問うたりすると、結局当りさわりない(さほど結論を問われない)、
具体的ではないことを望まざるを得ず、という・・・・
で、そうなると既にそれは「望んでない」ってことになるわけだ。

今回は
そんな「望まれてない」状況の中で行われたです。
もちろん「要らない」とも言われてはないだろうけど、是非やろう!とも言われない。
でも一部の人達が「やる」と言ってやったわけです。
とある・・・とある「課題を解決しよう」と。

寝た子を起こす手の込んだ遊び
詳細は割愛します。
ただ今回参加なさった方の数名から次のようなことを言われたことがとても印象に残ってます。
「寝た子を起こしただけなの!?」
「まるで手の込んだ大袈裟な遊びですね」
とかとか。
これを言ってる背景がわからないと何だかさっぱりわからないと思うけどまぁ想像して下さい。

期待
させたんでしょうね、参加した人達に。、たぶんちょっと過大に。
でも「やる」と思ってやった人達はやったのです。
良いとか悪いとかそんな次元を超えたところで「必要」と感じた人はやったのです。
ただ、その期待は二項対立的なものを喚起させたのかも知れません。
「そうだよ、私たちだって色々できるはずだよ」素晴らしいね。
でもその先には
「だから行政に何をねじ込めるんだ?この集まりは何を付きつけるために自分達を集めたのだ?」
と思った人も何人か?はいたと思います。と言うか居ました。
私個人はむしろそう思ってしまう人なので、全然自然なことなのですが。

私は上述した
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「お前んとこの自治はどんなだい?」「おたくの自治の最近の調子は如何?」くらいの
とにかく話したり会話したり、そういう場面が自然に風景にあれば
他者との自治の違いを殊更問題にせず(0にはできなくても)、
けれど「自治は大事だ、なきゃいけないね」となり土壌となる・・・かも知れない。
=======================================================================
のようなことに期待していて(と同時に親愛なる呑み友達とのお付き合いもあり)
討議会みたいなものが(本当に有償であるべきかどうか諸々の疑問はあるけど)
続いたらいいねー、と思ってます。思っては居るけど「自分は音頭はとらない」です。
音頭をとって何かをすると、それは私の自治マインドに相反しちゃうから。
(これが所謂商売であるならマインドはまったく逆に作用しますけど、って当り前か)
と、そんなこんなでとにかく手伝ったわけだけど、でも何だかその言葉を聞いて以降、
様々な違和感達を自分の中でグツグツ煮込み始めることになった・・・。

まるで押し売り!?
「これは良いものだから使ってみて下さい」
「わかりました、使ってみましょう」
そして3年かそこら使ってみた。
「ううん・・・ある意味での「良さ」はわかったけど、費用負担するに値するほどの効果は何だか今一つですね」
と返品される。返品された側も別に逆恨みしてってことでもないだろうけど
「そんなことはない、これは良いものなのだから!」と。
そしてその「良さ」に恰も正統性をつけるが如く、その「良いもの」にさほど興味のない様々な人を巻き込みつつ・・・・

前回
も感じましたが、討議会自体はやはりプロセスでしかないから(これそのものは目的には成り得ない)と思ってます。
そんなプロセスが定着し長く続くようにと願い、それも純粋に願って始めるわけだけど、
「求められてない」と「続かない」ことも一方の事実だから、
そうすると「良いもの」だから「結果も出る(出せる)」と発想してしまう。
なるほど、考えはとてもよくわかるし大筋で願うことも一緒ではあるけど
でも何だか「様々な違和感は自分の中でグツグツ煮込まれ」過ぎて焦げちゃったりもした。

目的は説明
されるべきかと思います。なぜそれをやるのか。何を願ってそれをやるのか。
そこに腐心してきちんと説明しとかないと悪戯に期待だけを持たせる場になりかねないな、と。
(もちろんその期待は大事な何かのきっかけにも成り得るけれど)
プロセスとしての定着を願っていることをきちんと言って、その一環としての今回討議会なのだ。とかね。
気分としては、自治にも繋がり得る可能性を秘めた、何となく「良さそうな場所」には呼ばれたんだけど
結局この場所は
・主催する、やってる側にとってどんなものか
・来てくれた方達にとってここではどんなことを感じてもらいたいところなのか
くらいの思いは丁寧にわかってもらわないといけないなー、と痛感。
と私は思ったけど、そう思うことすら「一人一人の自治マインド」だからして、まぁどうでもいいっす。
でもでも。「これ(討議会)のオチは?目的は?」と聞く人は必ずいるし、いなきゃ不自然だし、
それはある意味でとても素朴で自然な疑問、ですよね。

のような
愚にもつかないことばかりだけど、例えばこんな(ある意味で何の合理性もましてや効果も見込めない)ことを
誰かと語れる環境そのものが、やっぱり
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地域とか社会とかって、実はたかだかそういう「付き合い」から発芽するもの?
=======================================================================
なんて勝手に信じてもいます。

あー・・・やっぱりオチはなかったね・・・・。
ははは

 

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チョコブラウニーに魅せられて


昨日は市民**会のお手伝い。なかなか慌ただしく大変でした。
けれど打ち上げの酒席は毎度通りの不思議な雰囲気で楽しいったらありゃしない。
実行委員長のHくんとは、互いを「めんどくさい奴!!」と高く?評価し認め合う仲。
会話はまるでかみ合わないけどとにかく楽しい。
平素は礼儀正しい男なのだが酒が入ると私のことを「先輩」と呼び(なんでだよ)、
更に酒が深まれば「アニキ」と言い始め(なんでだよ)、
揚句、酩酊すれば再び「先輩」に戻って・・・・・とまぁ、とにかく変な奴。
しかしながら私の人生経験においても類をみない裏表のない真っすぐな
熱い(暑苦しい)男なのです。

まぁそんなこたぁともかく。
今日は朝から大事な大事なとっても大事な所要があったのです。

そしてそんな大事な所要でさえ、まぁともかく。
思いのほか大事な所要は早く終わってくれたので、うひょひょひょと近所のショートコースへ。
天気も良くって心地よかった、とも言えるけど少々風邪気味の私には暑過ぎ、でもあった。

まぁスコアのことはなかったことにしてもらって・・・
あ・い・か・わ・ら・ず・の・下・手・さ・に・う・ん・ざ・り・だ・よ
・・・今日(毎月曜?)はたまたまレディースデイだったそうで、
de-do#2の連れという恩恵により、ラウンド後にチョコブラウニーにありつけたのです。

うまーい。ほんと美味しかった。
ここのショートコース(ゴルフとテニスの練習場が併設されてる複合スポーツ施設)
は、以前から何度も来ていてほぼその度に昼食も食べるけど
そもそもそのランチからしてとても美味しくて、その辺で普通に「飲食店」としてやったらいーんでないの?
ってくらい美味しい食堂も併設されておるのだす。
まぁそれくらい普通にランチからして美味いけれど、今日のデザートも美味であった。
恥ずかしながら、チョコブラウニーってのは今日初めて食べたのだけれど
これは、どこで食べてもあんなに美味しいものなんすか?

[ブリヂストンオープン]
谷口徹ったらすんごいイーグルショットだったね。ありゃ凄い。お見事。
そして負けはしたけど藤田も素晴らしかったっす。
いやはや、この二人のベテランの闘い(44歳VS43歳)はいつ見ても楽しいです。
二人ともinpresX同士だし、まさしくヤマハブラザースって感じ?(って古過ぎだよ)

[マスターズGCレディース]
あ~あ・・・・横峯はダメだったのだね。

[ザ・マグラッドリー・クラシック]
トミー・ゲイニーの初優勝。最終日に驚異の-10ってんだから凄いね。
バド・コーリーは二日以降延び切れず20位Tとかそんなだったみたいです。

[マイナビABC(の予選会)]
真弓(元阪神の)は通過できなかったらしい・・・・

[クライマックスシリーズ]
ってやっぱり必要性はよくわからないシリーズだけれどとにかく巨人が勝ちましたね。
どっちでも良かったけれど、やっぱ中日よりはいいか・・・という程度で。

追伸
ライダーカップで主将を努めた選手でその大会後に勝利した選手は過去にわずか三名なんだって。
デービス・ラブ・Ⅲにも頑張って勝ってほしいっす。
(48歳とからしいけどまだまだ全然やれてますからね)

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あなたの町でも

3月 27th, 2011 Posted in すすめ!の学問 Tags:

昨年暮れ、某町・・・まぁつまり私の住まう町なのですが
(以下ではその町名を※※と表記します)
そこで市民討議会なるものがございまして、
とにかくどういうわけだか私がその準備や運営に関わる実行委員なるものを引き受けた、
のであります。

「市民討議会って何よ」
っていう部分の説明はここでは触れませんが
とにかく「市民参加」の一つの形(パブリックコメントとか)、くらいに思って頂ければよろしいかと。

で。
3/11の東北関東大地震があって、私個人は幸いにも帰宅難民化しかけた?程度で済みましたが
その後も私なりに色んなことを考え考え考え・・・考え続けてますけれど
だからといって、別にその考えが何かに繋がることはなく、
ただひたすらに「自分の暮らす町で万一同様のことが起きたら・・・」
したくはない想像だけれど、でも誰にだって(何処でだって)起こりうる
「現実」
ばかりを考えるのです。
隣近所の顔も名前もわからず暮らしてる今の生活ではたしてあのようなことが起きたら。。。と。

さて。
そんな考えをぐるぐると巡らせているとき、ふと去年の討議会のことを思い出しました。
別に討議会の中身のことが書きたいのではなく、
ただ、そういう一つの経験を通じて、暮らしてる自分と、その場所(同じく暮らしてる方達)の関係って
実は、ものすごく。物凄く大事なものなんじゃねーのかなー・・・って。
そう痛感しているのでした。

下記は、昨年討議会実施後にここ(de-do)にブログすべく書きかけていた
しょーもない駄文なんですが、今回あえてアップさせていただきます。
(ただそうしたいだけで深い意味は何等ありません、あるわけもなく、ありようもない)
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以下は討議会閉会時の挨拶から・・・・

「みなさん一人ひとりが※※です。※※を思うことが自分自身にも繋がってくる」
のような挨拶を、誰あろう、私自身が最終日の閉会の挨拶で述べさせていただいた・・・
のだそうです。
(当日参加されておられたどなたかがそのことを後日ブログに綴って下さった)

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自分でも、よくもまぁいけしゃーしゃーと・・・・と少々恥ずかしくもあるのですが
でも特に考えて言ったわけでもなく、ほぼ自然に口をついて出た言葉でした。

なぜそんなことを言えたのか?(臆面もなく言ってしまったのか!)
嘘偽りなく自分がちょっと感動できたから・・・それだけのことです。

私は元来が「市政」なるものへの(広義で国政も)興味が薄く、
まさかその市政に何か届けられないか、などと恐れ多くも
そのようなことを企図した市民討議会の実行委員になってしまうとは
まったくもって自分でも驚きの所業(応募)・・・でした。
(後日の中間報告会にいらした参加者の方々からも
「なぜ、こんな(実行委員)ことをしようと思われたのですか?」
と不思議そうに聞かれましたが、何の何の、私自身がまったく同様に疑問をもっているのです)

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応募した理由はいくつかあるものの、一つだけ触れると
「この町(=自分の暮らす町)の人々が、この町について話し合う風景(つまり討議会ですね)
ってどんなだろう・・・」
という詮無い興味でした。

私自身この町に住みつき20年を数えますが、「町(そこに住む人々、皆さん)」
について意識したことはほとんどなく
漠然と「町」とは行政(ほぼ市役所)のこと、くらいにしか思い浮かばず
「今年も税金をもっていくのね・・・」
という・・・誠にお恥ずかしい、そんな程度のものだったのです。

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が。
ふとした時に、そうじゃないだろう・・・と。
そもそも「自分も含めて暮らしてる人達がいての町(※※市)だろう」と。
そんな風に思ったようなおもわなかったような。

だから、
「この町の人々が、この町について話し合う風景」
を確認してみたかった、のかも知れません。

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さて、討議会における私の思惑は見事に成就(?)・・・致しました。
その風景をこの目でしかと拝見させていただき、話し合う方々の熱心な声を言葉を拝聴した次第。
良かったです。理屈抜きで良かったです。
そして討議会の準備に関われたことは本当に本当に良かったです。

お陰様で私の中の漠然とした「町(※※)」というイメージに、
今回の討議の風景はすっぽりと納まってくれたのでした。
結局そのことが「討議されてる方々の一人ひとりが「※※」なのだ」に繋がったのか・・・と。
もちろんその「※※」には実行委員である私たちも含まれていることは言うまでも有りません。
(一応私も市民のはしくれですし)

何だか取り留めないことばかりですが、そこは予め悪しからずご容赦頂き、
少々の希望めいた気分などをだらだらと下記させていただきます。

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話はまったく飛んでしまいますが(ひどい散文ですね、すみません)、
「天に唾する」なる諺(なのでしょうか?)があって、
子供の頃から両親や爺さん婆さんに口うるさく言われたものです。

市政に興味のない私も、町なかで不快なおもいをすることに遭遇すると
・・・例えば【歩道を我が物顔で突き進もうとするチャリンコに乗った人とか】
「何なんだー、この町(ほぼ狭義の行政・市役所などをさして)はどうなってんだ!」
などと独りごちる次第。

しかしながら結局これは「天に唾する」ことに他ならないのだな、と思ってます。
(さりとて、私自身文句を言えるほど立派な振舞は一切できておりません・・・・ただ、そう思うだけです)
何でもかんでも市役所(広義の行政)のせいにしても
結局そこから返ってくるものは「自分等の暮らし辛さ」なのではないか、と。

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さらに話を大きく逸らします。

いつぞや九州のとある山間部へキャンプをしに行った時のこと。
早朝、村の道路をてくてく散歩しておりましたが
すれ違う地元の方の大半の方が見知らぬ私に向かって
「おはようございます」
と挨拶(それも笑顔で)してくださるのです。

むかーしからごくごく自然にそうなのだと思いますが
とにかく私には新鮮で、素敵な(ある意味で凄い)習慣だな、と思いました。
勝手な想像(妄想)ですが、これは恐らく他所者に対しての適切な距離感を保つためのメッセージ?
(私は貴方にけして危害を加えることのない安心してもらっていい相手です、
だから、あなたも安心な相手としてこの村で余暇を過ごして下さいね、的な)
・・・だったのかと。

天に唾する=自治体や行政に文句を言うだけじゃいつか自分に跳ね返るよ

最近どういうわけか、そんなことをよく考えます。
つまり、文句ばかりじゃ悪戯に社会的コストが押し上げてしまって
巡り巡って自分の跳ね返ってしまうんじゃない?
ということでしょうか。
(ここでのコストは費用としての、でもあり、時間でもあり、個人のストレス量、でもあります)

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誰しも不平も不満もあって、私のような、所詮は安穏とした輩ではなく
切実な問題を抱えている方も多くいらっしゃるのだと思いますが、でも少なくとも。

例えば気軽に挨拶が出来る空間(挨拶をする意図は個人様々でも)
は様々な社会的コストもきっと下げられるんだろうなー、と思うのです。
第三者が介入しなくても、やたらと規制を設けずとも
そこを必要としない分だけそこにかかってるはずのコストは
より大事と思われるところへ(為政者がそれを間違えなければ、という条件付きで)
有用に使われるだろう、と。

何も私は皆さんに「挨拶しよう!」だなどと提案してるのではなく(そんなの毛頭思いません)、
自分が暮らす町がどんなで、そこに暮らす人々はどんな人々で・・・
と多少の興味をもってると、結果的に
「天に唾する前に、自分や自分達でもう少し何かできないんだっけ?」
という思いに至る人も少なからずいるのではないか・・・・

/*************

ぐっと話は戻りますが、市民討議会は無作為抽出をその前提とし、そこが大きな特性でもあります。
声の大きい方だけが、関心のある方だけが(もちろん関心のあることはとても重要です)
そう都合よく集まって討議する、というわけにはまいりません。

同じ町の住民である、という共通項以外は、普段はほぼ何等関連のない方々が討議するものです。
討議会における足りなさは随分とあるし(一方でどれだけやっても「完成」もしないでしょうが)
色々あるけれど、
でも継続すること、そこに自らの意志で承諾して下さった方が足を運んで
初めて会った方々同士で会話する・・・
討議会がテーマに応じた提言をまとめる、当然のことですが
どんなに優れた市政への提言をまとめられるか、もさることながら
とにかく関心をもつきっかけの場として「定着する」ことが大事なのでは、と私は思いました。

定着し、様々な人々が関わり循環していく中で
「優れた市政への提言」
へも自ずと近付いていくでしょう。

けれどそれは「どこかの誰か」が制度設計や実行する性質のことではないようです。
自分達が「設計して」「実行する」ことでしか、前進しないと思うのです。
本当に難しいことですね。自分達の「開かれた討議会」を自分達が作っていくことって。

ですが、難しくてもそれが望ましい形のように思えます。
天に唾することより、どれほど有意で納得感を得られるか。
他人任せではなく、自ら暮らす※※をそこで暮らす方々自らが
「※※って何だ」
を掘り下げていける、そんな人々が暮らす町。(っていいよなー)
※※と言う町に「毎年、ごく自然にある討議会」になることを
この町に暮らす「一当事者」として(かなり本気で)願っております。

一方、実行委員をさせてもらった一個人の立場から申し上げますと
初めて会う方々(討議会に参加下さった方々)に私は自ら挨拶をし、
僭越にもその方達の討議まで(下手糞ながらも)補助までして・・・・
結果、以前よりこの町への好意ももてた気がしますし
わたしの中の社会的コストは幾許か引き下げられたのでは!?
それに関わる大変さを含めた多くのことを学べるという
大いなる「おまけ」がついていたことも付け加えさせて頂きます。

/*************

とにかく。
昨年、市民討議会なるものに関われたことは良かったです。理屈抜きで良かったです。
そして討議会の準備に関われたことは本当に本当に良かったです。

も一つおまけに「楽しかった」・・・です。

共同作業とは、日々の仕事を通じてずいぶんと経験しているつもりですが
仕事のような「特定の利益」のためじゃない共同作業は随分と勝手も様相も違いました。
それは、とてもとても悩ましいもので、それでいてなかなか経験できない不思議なものでした。
(目標がゴールに到達するため、というより、営み自体、プロセスの継続自体が目標のような)

繰り返しとなりますが、私の如き
「町(市)」や「市政」や、「市民」とか「市民参加」「市民活動」とか・・・
そういうこととは常に距離を置いてきた人間からすると
(だって照れ臭いし、むしろ胡散臭いとすら思ってたくらいだし)

とても多くの発見があり、そして多くのことを考えさせられる素晴らしい機会を頂きました。
(だからと言って今後その距離を大きく変えるつもりはないし、私は私としてそれらのことを見続け、
時に気が向けば関わるだけ、のことですが)

でもそんな人間が、何の思いつきか、実行委員なる役を引受させてもらったことに本当に感謝しております。
ちょっとした思いつき(をした自分)を褒めつつ、
共にこの一年を悩み、考え続けて下さった実行委員諸氏の皆さまに
そして、当日会場にお越し下さったすべての方々に心から御礼申し上げたい気分です。

今後の討議会においても、一人でも多くの誰かが「ちょっとの思いつき」で
(まんまと!?)実行委員になって頂き、
そして討議会当日のその日まで「まだ見ぬ誰か」のために尽力を頂けたら幸甚かと・・・

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その後・・・・
先日※※の市長殿に実施報告書なるものを無事提出させて頂きました。
(約10か月携わったものが一冊に清書され、ただただ感慨無量です)

不思議なもので実行委員諸氏数名の間において、新たな仲間意識・・・のようなものが芽生え
その後も見事な「飲み仲間」としてお付き合いさせて頂いております。
本当にありがたいことです。

もちろん、飲むのは我らが町※※です。各々仕事をしてる場所も業種もバラバラだけれど、
でもわざわざ地元で飲んでることにかすかな充実感すら覚えております。

そして、その飲み仲間諸氏は一様にこの震災について
「もしこの町で起きたら・・・」
と、私と同様にただぐるぐると、とにかく考えておられる様子でもありました。

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