絵鞆岬
【地名由来】
室蘭発祥の地。絵鞆とはアイヌ語のエンルムから転じたもので「突き出ている頭」「岬」というのが語源。
絵鞆は江戸時代から明治維新まで室蘭地方の地名であった。地図の上では、蝦夷の古地図として知られる正保日本図(1648年頃)にエントモと書かれている。
慶長年間の初め松前藩の直轄所(漁業基地)として開かれ、交易所で通行人の宿泊もできた運上屋が置かれた所であり、夏季にはアイヌと交易するため、松前藩の弁財船が絵鞆の潤に出入りした。
絵鞆岬と東の丘上にあったチヤシ(砦)遺跡や周辺の貝塚からは、縄文早期(約9000年~6000年前)からアイヌ時代(約800年~100年前)に至る貴重な出土品が数多く見られた。
【慰霊碑】
この慰霊碑は、室蘭開発の先駆者である先住民の霊を慰めるために、先住民チャシ(城砦)のあったこの地に、室蘭開港90周年・市制施行40周年を記念して建立したものである。
この地域は、室蘭発祥の地として永く記録されるべき土地であって、先住民は、ここを拠点として漁撈に耕作に従事し営々として文化の礎を作り今日まで幾多の挿話と傳説が傳えられている。
ここに眠る先住民の多くの霊に対し永久に安住の地たらんことを祈念し、あわせて開拓の歴史をたたえる次第である。
この碑建立にあたって更科源蔵氏並びに平三郎氏の特段のご指導を願ったことを附記し感謝の意を表します。
昭和37年9月 室蘭市長 熊谷綾雄
【2013年4月の景色】
[…] 「絵鞆岬」のページで慰霊碑に刻まれた、市町のメッセージを追記しました。 […]
[…] 「絵鞆岬」は綺麗に清掃しているようです。こうやって室蘭の名所を維持してくれていることを感じてとても嬉しくなりました。 […]