日本一の坂
1892年(明治25年)石炭輸送のため岩見沢・室蘭間に鉄道が開通し、室蘭港は石炭積み出し港として徐々に整備されていった。それと平行して海面の埋め立てもおこなわれ、1900年(明治33年)北炭が海岸町一帯の埋め立てを完成させた。この時に現海岸町3丁目の「札幌通り」と現駅前通りを結ぶ通り道としてこの坂が設けられた。それ以来、毎朝沢町や西小路の湾岸労働者がこの坂を下り、あるいは主婦達が駅前通りに並んだ市場への買物に行き来した。いわば「生活の道」で人の往来は今と比べ物にならないほど多かった。
ところでこの気宇広大な「日本一の坂」の由来は、1900年頃そば屋がこの坂下(現室蘭釣具店)に「福井庵日本一」の屋号を掲げて店開きしたことから。
このそば屋は小樽で殺人を犯し、室蘭に流れて秘めて開業、が、凶状がバレそうになって逃げ出したという巷談がある。
[…] 今日の目的は室蘭八幡宮だったのですが、行く途中に寄った「日本一の坂」に咲いてる桜が見頃を迎えていました!! […]