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第六回【それぞれの道】


室井は詰め腹をきらされた。
室蘭のとある海岸に構築されたデータセンターの片隅・・・
サーバやNW機器を冷却するためによく整備された
(実は外気を取り込むつもりで構築したのだがどう考えても潮風を取り込んでしまい
錆の原因になりかねないためすべて隣の某製鋼工場から動力源を引かざるを得なくなった結果としての)
空調に身を震わせながら、
「ったく。少し考えりゃわかるだろ!」
などと、あまりと言えばあまりの、有り得ない設計ミスによって構築された
このデータセンターを恨みながら、そのと隣の動力源をフル活用させ、
おかげで異様に冷えた一室で一人ごちていた。
今は、このセンターで作業服をまとい一作業員として働いている。

あれは・・・・あれはけして室井の責任ではない。とは言え。

部下数名を連れ立ち、ちょっとした一区切りの記念に「打ち上げだー!」とばかり
中島町~母恋~中央町とほぼ5~6軒を梯子し、部下数名は泥酔した上、
晩秋の冷たい太平洋(イタンキ浜)へ「わーい!」などと駆け出したのだそうだ。

皆、幸いにして一命はとりとめた。だが・・・
室井も言い逃れはできなかった。監督責任不行き届き、と言われれば返す言葉もない。
事故の実情を探るためパンドラプラス本社から派遣された調査員による実況見分で、
梯子した何軒目かのクラブのママが
「ええ。。そりゃもう、室さんったら大はしゃぎで・・・
ハウンドドッグの「ブリッジ」を大はしゃぎで歌ったかと思えば、お店の女の子にも・・・そりゃええ、かなり。。。」
と意味深なコメントから裏が取られ即座に責任問題となったのだ。

室井自身は、最後の店で部下達とは別れ、どういうわけだか地元の工業大学の独身寮の付近で寝ていたらしい。
とは、警察から連絡をうけ迎えにきてくれた幸子の話で知った。
どうやらその後部下数名は
「ここまで頑張って俺達を引っ張ってくれた室井さんのために海に駆け出そうぜ!」
となったというのだが、ホントか?

あれから一年半が過ぎた。移動という十字架を背負い、ラーメン屋の夢を捨て、そしてこの地に帰ってきた。
必死に働いた。死ぬほど働いた。いや、2~3回死んだんじゃないか、と思えるくらいに働いた。
そして愛帝のフレームワークは400人月という自社開発としては膨大な規模であったにも関わらず
わずか10名のプロジェクト(加えて地元大学の学生アルバイトがテスターとして3名)で、
なんと10カ月足らずで無事完成にこぎつけたのだ。

社内表彰もされ、報酬も3倍になった。特別賞与には2000万が支給され即座に家を建てた。(伊達に)
古くから世話になっている心の師と仰ぐ先輩のために離れも建てた。
ところが完成を間近にした頃、本社の重要な管理機能の一つである次世代戦略室室長までをも兼務することになる。
(結果その家にはまだ10日くらいしか寝泊りできていないが)しかし勢いは増すばかりだった。

コンプライアンスがなんだ!会計基準がどうした!セキュリティなんて嫌いだ!
嫌いだ!嫌いだ!嫌いだ!

と激しく悶絶しつつも、必死になって度重なる出張にも耐え、
役職的にタクシーだって使える身分でありながらも、大好きな山手線に地味に乗り
そして決まって先頭車両からぱちぱちと進行方向にカメラを向けたのさ。パチ。パチ。
悪いか。

「この会社には無駄な仕事が多過ぎるーーーっす!」
と社内のお偉どころを次々説得にまわった。お偉方もそんな室井の熱心な説得に感じ入り
ついに社内改革着手の一歩手前まで話は進んだ。
室井の元同僚である山本は出張で上京する室井と時間が許せばよく飲みに行っていた。
「俺たちの友情は変らないぜ」なんて・・・・愛想とは裏腹に山本は冷ややかな目で見ていた。
(「けっ、すっかり仕事人間じゃねーか」)

室井もうすうすそんな雰囲気を察してはいたが気にも留めなかった。
「変ればわかる」
そんな信念が室井には芽生えていた。

たかだか打ち上げ、されど打ち上げ。酒は恐ろしい。
打ち上げでの泥酔は、そんな、そんな活躍の真っ只中のことだった。
「わーい」と叫んで海へ向かった部下達に恨みはない。いや、むしろ感謝すらしている。
一人ひとりが身を粉にしてくれた結果が今の自分を育ててくれた、とも言えることを室井は理解している。

渡乗男(ワタリノルオ)と渡減意地(ワタリゲンイジ)は実の兄弟である。
彼らが地元採用された当時は、室井よりかなり年長ではあったが忠実な部下としてよく働いてくれた。

が。
この事件と移動をきっかけに手のひらを返したような態度になった。
今はこの二人がデータセンターの管理者であり、室井の上司だ。

「ばっかじゃねーの・・・・」「権利だぁ!?あぁーん?」
「死んでもやれよ、ゆるさねーぞ」

などなど、凡そ今時の社会人が取るような言動や態度ではない。
室井は作業着のポケットの中で硬く拳を握りながらも、笑顔で「わっかりやした~」と対応した。
偉い。偉すぎる。

 

兄のラーメン店はその後どうしてるのだろうか・・・・
成田で見送って以降、あまりの多忙さに連絡もろくにとってない。
ただ、室蘭で立ち寄るいくつかのラーメン屋で室井はよく思うのだ。
「このラーメンや、兄ちゃんの美味しいラーメンを、いや、日本中のうんめーラーメンや色んな食べ物を
写真にとってとってとりまくって、そしてブログに書きてー!」
と。
そんな思いはいつしか固い決心へと変わっていった。

 

山登下子・・・・。
実質国内の通信インフラを寡占している巨人「MYYDocca」への「愛煩(あいぼん)」という
猛烈アタロー的なスマホの供給が成立し、パンドラプラスの経営基盤はより強固なものとなった。
それに並行し、マルチプラットホームのOSである「愛想(あいそ)」は国産OSとしては初めて、
従来のPCからスマホ、ゲームや音楽プレーヤなどネットに繋がるデバイスであればすべてに対応する
愛をふりまく素敵で強固なOSである。
一方アプリ分野においても「無我宙(ムガチュー)」が爆発的なスピードで利用者を獲得し
モバイルゲーム&SNS分野ではもはや敵なしとなった。
ついには、プロ野球球団までもつにいたり、そして今はきたるべき開幕始球式に向け
渡辺を相手に投球練習に汗を流す日々である。

下子は子供の頃、運動神経が抜群であった。
中学の頃は体力測定のソフトボール遠投で測定不能な距離を投げた。
(およそ250Mは投げたはずである、ボールは中学校のグランドのネットを大きく超え
隣の工業高校のグランドに落ちていたのだそうだ)
100M競走も圧巻だった。
これも計測不能だったが自身が走りながら「1、2、3・・・」と数えた限りでは
7秒から8秒の間、と言ったところだった。
「ボルトー!かかってこんかい!」である。
(でも今は20秒くらいです)

それはともかく。順風満帆に見えている日々の中でも下子は「何かが違う」。
そう感じていた。
下子が会長職に退いたのもほんの数日前のことだった。

今はもっぱら自らが主催する宗教法人「あいあい」の活動に精力的である。
信者は少なく見積もっても15億人になると言われ、一方で「いやいやいや、概算で280人くらい?」という話もある。

数はともかく、先だっても奈良県の山奥で信者数名と修験道合宿をした。
気分は役小角だった。
下子自身はもちろん、皆皆がキャンプ用具を持ち込み、カレーやバーベキューをし、
フォークギターをつま弾きながら「翼をください」を輪になって歌った。
あ、翼をください・・・と言えば山本潤子がNHKで歌ってたっけ。
(下子は「赤い鳥」はほとんど記憶にないがハイファイセットと紙ふうせんは大好きで、
中でも「フィーリング」(ハイファイセット)と「冬が来る前に」(紙ふうせん)はカラオケでの十八番でもある)

ちなみに下子は、ギターは独学だが超絶的な技法を駆使して演奏ができる。
ナルシソイエペスから声がかかったこともあったし、リッチーブラックモアからも声がかかった・・・
と自身は妄想していたほどだ。
「イングヴェイー!かかってこんかい!」である。

さらにヴォーカルはより圧倒的で、なぜだか勝手にマリアカラスを自称・・・するだけはしていた。
「ホイットニー!エンヤー!ガガーー!誰でもかかってこんかい!」である。

そんなこんなで下子は経営の全権をCOOでありCFOであり(始球式の練習相手でもあり)運転手でもある
渡辺に委ね、プロゴルファーへの道を歩むことを決意した。
「村口史子さんや藤井かすみさんにできて、私にできないわけはないわ。ムフフフ」
だってさ。

あれから一年半・・・・いま二人の運命は大きく旋回し始めた。
のだ。

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