あずさ2号とラジオ
元宝塚の何とかって女性と狩人の高道(弟の方)が名曲「あずさ2号」で
カラオケ対決してました。(関ジャニの仕分け∞?)
うーん・・・高道のはさすがに30数年歌いこんでるだけあって
圧倒的且つ感動的な「あずさ2号」なのだけど、けど評価パラメータ上では高道の負け。
むむむ・・・所詮は音符をどう正確にトレースできてるか?って評価での限界なのですね。
と、あずさ2号と言えば・・・
もう何か月か前のこと、例のmiya氏と久々に呑んだのだけど
その際カラオケスナックへ行ったのです。
彼の歌を聴くのはこれが初めてだったけど、彼ってばすんごくお上手でびっくり。
お互い何曲か歌って「お、(お互い)なかなか上手いね?」ってことになって
「じゃあ、『あずさ2号』でも歌っちゃう?」となりました。
私はサビで下をハモる方(お兄さんのパート?)で、miya氏が高道の主旋律。
これがまたばっちり決まっちゃって。お互い自画自賛してしまいました。ははは
彼は他にも「摩天楼ブルース」(東京JAP?)や、永ちゃんの渋いのを歌ってたと思うけど
いやはやホントによく響く素敵な声をしておられます。
ってな話はともかく久々のれヴー。
(133) TOKYO ROAD/ボン・ジョヴィ
最近はなんだかボン・ジョヴィってしまっていて、まぁ近々来日公演もあるみたいだから
そのプロモ的なこともあってなんだろうけど。
先日もベストヒットUSAで特集されていて、そこで見たボン・ジョヴィは確かに50歳過ぎ?
の風格も漂っていたけれどでも。でもやっぱり全然かっこいいのよね、ボン・ジョヴィって。
私が高校の頃のデビューで、なぜだか当時は米よか日本での人気の方が高かった!?
デビューアルバム「Bon Jovi」(邦題は夜明けのランナウェイ)の
“Runaway”や “Burning for Love”、2ndアルバム「7800°Fahrenheit」に収録されてた
“Only Lonely”なんかもやはり哀愁漂うキャッチーメロディーが日本にはまったのだろうか。。。
(っつぅか、彼らの名曲にはちょっとした演歌のエッセンスすら感じられたりするのだけど)
そのころは「LAメタル」なるブームがあって米本土では圧倒的にそっちの方が売れてた
(RATTを筆頭に、モトリー・クルーやらクワイエット・ライオットやらドッケンやら何やらと)
はずだけど、私は「東海岸」的(?)なボン・ジョヴィも大の御贔屓だったのだ。
で、その2ndアルバム発売直後には「7800 Fahrenheit Tour」ですぐ来日してくれて
私も張り切って札幌へ観に行ったのです。(北海道厚生年金会館)
いやー感動いたしました。この頃は当然にして3rdアルバム「Slippery When Wet」での
爆発的ヒット(超メジャーバンドになるちょっと)前のことだったけれど、でも。
でも十分にかっこ良かったし素晴らしいライブでありました。
ライブでは、ジョンはもちろんリッチー・サンボラ(ギター)が滅茶苦茶かっこ良くって
そっちの方が印象に残ったかも。
その後も4枚目「New Jersey」あたりまでは聴いてたけれど、いつしか興味もなくなり・・・
このアルバムはその後随分たってから久々に聞きたくて買ったCD。
そしてまた数年寝かせてたら今回またむくむくっと聴きたい衝動にかられて
引っ張り出してきたってわけです。
彼らを世界の頂点へ押し上げた名曲”LIVIN’ ON A PRAYER”(これ歌詞もかっこいいっす)
や”YOU GIVE LIVE A BAD NAME”はもちろん、”BORN TO BE MY BABY”
なんかも大好きな曲です。
(カラオケでも歌えるちょういいキーだったりするので。。。)
別の探し物をしてたらこんな骨董品が(十数年前に競馬中継が聴きたくて買ったもの)。
電池を取り換えたら何等問題なく受信しちゃってくれて何だか嬉しかったりして。
にしてもラジオって・・・・。
いまどきはせいぜいタクシーの中でたまに聞くともなく耳に入ってくるくらいで
ましてや宅内でラジオを聞いたのなんてホント何十年ぶりなんだろ・・・。
昔はオールナイトニッポンなんか聞くのに部屋には必需品だったけれど。
笑福亭鶴光、タモリの頃から、松山千春、中島みゆきなんかをよく聞いておりました。