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プロとアマの分水嶺は

12月 21st, 2013 Posted in 馬いっしょ的農水省への寄付

いよいよ明日は有馬記念。とは言え何だか気分がいま一つ高揚しませんな。
何だか長距離GⅡの体で。。

【有馬記念】
◎ [16] トーセンジョーダン
○ [06] オルフェーヴル
△ [01] ダノンバラード
△ [04] ウインバリアシオン
△ [09] ルルーシュ
△ [13] トゥザグローリー(やっぱり今年も買うのです)

これ、奇しくもウィニング競馬で司会の斉藤(ジャングルポケット?)って人と同じ。
(本命と対抗が逆か)
当ってみろ!!

●「アマチュアだった・・・。」
都知事がそう言って辞表を提出したそうで。
ふーむ・・・そうか。そうか。そうなのか。
知事に限らず議員に限らず、会社勤めしてる誰だって対価(報酬)をもらう限りはプロ!
というのが一般論だし、まぁそう考えるのが妥当でしょう。
当選nn期、議員歴mm年、プロ中のプロ議員!
と言ったところで、それをプロたらしめるものは何なんだろうか。
そこらへんはよぉわからんです。

ごく狭い観点で見れば「脇が甘い」と、そういうことなんだろうかと。
つまりメディアの格好の標的になることを、自ら引き受けた
(そのつもりのある・なし、ではなくて、そう言う「見られ方」と対となってる仕事だし役職だし)
そういう都知事さんなわけだから、
例えば、誰からいつ如何ほどをどう借りた(預かった・もらった・経由しただけ、etc)にせよ、
そういうことについては
「それはカクカクシカジカでこういう見方をされかねないから
こういうふうに処理・対応しとかないと後々面倒だーね」
と言って(管理して)くれるブレインなどがいないとなかなかしんどいのでしょうな。
だからそういうことへの備えやスタッフを持てるかどうかが恐らくアマとプロを分ける何か?なのかも。

そもそもが「私はどうしても知事になりたいのだ!」という強烈なモチベーションからそうなった、
ってことでもないのでしょうから(と私には見えますが)
辞めること自体にさほどの未練もないのでしょう。
何を言われても、厚い顔面部の皮膚?を盾に平然とはねつける(かわす、言い逃れる、逃げ切る、etc)、
そういうある種の強さや図太さもないのでしょうし、
良い悪いはともかく、前の都知事さんなんかはそこらがなかなかに強烈で、
自己主張(顕示)の塊的な御仁でしたから、そういうレベルには遠く及ぶべくもなく。。。

本人が自認しているところの「政治のプロ」(≒狭義には選挙のプロ?)でもなれければ
「議会のプロ」でもなく、ましてや「東京の未来設計のプロ」では到底ないのでしょうから、
別にこういうこともあんじゃない。。ってか。
何にせよちょっと知識のある「普通の人」がたなぼたでやれるもんじゃない、とそういうことなのでしょう。
五輪招致が決まったその瞬間だけ都知事だった、という意味で(「瞬間知事」として?)
永く都民の記憶に留められる人になることだけは確かでしょう。(ホントか)

などと詮無いことをたらたらと思ったよ。

の一方。
この件をニュースで伝える側の人はなんとなーくニヤけた風にも見えて
活き活き!?としたり顔で何やらコメントしていたのでした。
何が嬉しいんだろ。。。

●田中まーくんは来年も残留!?したりするのか。
ふーむ・・・そうか。そうか。そうなってしまうのか。

第三者と第三者とが色々やりとりした結果、閉ざされたわけだね。
保有権?なるものが何某かの法人や団体に帰属してるってことはつまり
「きみは(俺は)商品だ」ってことなんだろうから、契約が有効である限り商品に意思は(もて)ない、となる?
なかなか難しい話ですな。
ワールドワイドでグローバルな昨今ですからね、まぁ色々起きますわ。
数十年前のように「自国内のマーケットだけ」を前提にしてらんない、とそういうことなんでしょう。
確かに民間活動は確実にそっちへ向かってる(広がってる)ように思うんだけど
如何せんそれらを統制・規律する諸団体や公機関が
「自国内のマーケットを前提」
にしなければいけないもの(そこに国としてのすべての根拠が生じる?)が多かったりするから
そりゃなかなか噛み合わないものもあるのでしょう。知らんけど。
貿易は限りなく自由であるべきだが、保護すべきものが国内にはあるからそれはダメ。と。
うーむ・・・難しくてよくわからない。

ってなことはともかく。
甲子園を熱狂させた幾多の名選手が鳴り物入りで憧れのプロへ。。。
そうじゃない過程を経た選手もそれ以上に多くいるわけだけど
大多数の野球ファンが最初にファンになるトリガーはそういう知名度やら期待感の大きさ、とかとか。
憧れの球団にいけなかった(ドラフトされなかった)人でさえ、
憧れのプロ野球選手にはなれた人が多数いるわけで、それすらそういう土壌があって初めて成り立つのだ。

ということは何となく感覚として思うのだが、でも。
広い意味でのプロ野球界の一員になる(例えばそれがNPB規制下に置かれる立場と仮定する)ことと、
個人が特定の球団と契約して報酬をもらうことの関係性が何だかわかるようなわからないような・・・。
個人事業主が個人の責任でする契約なわけでだからして、
所謂どこかの企業と結ぶ就業契約(つまり就職する)のとは全然違うだろってことなんだけど。
つまりアレか。すごく飛躍させちゃうとこの国の国民です。あなたは私の子供です。
のような、つまり選びようのない関係性なのだろうか。。。
親は選べるわけもなく、特殊なことがなければ普通はその国の国籍をもつ人であり続ける。
つまり日本でプロ野球選手になるっていうのはそういうレベル感のことなのかね。
って何だかまるでわからんけど、そういう矛盾をはらんだ存在に至ることが
もしかしたらアマとプロを分ける何か(プロがプロとしてもつべき自覚?)なのかも。

とある川に生まれた魚が海に出ていつかまた子を残すためにその川に帰ってくる。。。
戻る川がなければ何も残らず紡いでいけるものが失われる。本能?
なんかそういうことなんじゃねーの?などと勝手に思いつつ。
何にせよ野球という素晴らしいスポーツの土壌が失われない程度でほどほどまとまることを願ってます。

などと詮無いことをたらたらと思ったよ。

●ちゃーんぽーんまーん!
長崎は小浜町(雲仙市)を舞台とした山口智充主演のNHKのドラマ。
「私の父はチャンポンマン」ってのを先日見るともなくちらちら見たりしたのです。
「このまちのために」チャンポン麺を特産?普及させようと市の職員である
チャンポンマンは日夜孤軍奮闘するわけだけど娘ですらそれを冷ややかに・・・。
ああ、こういう風景って実は日本全国あちこちであるんだろうなー、などとと思ったのだ。
「まちのため・みなのため・XXのため」と頑張る人がいて、「いいよ別に」って人もいて・・・
この[for・・・]ってのがなかなかに難解だったりするけど、まぁ色々ありますな。
こういうのはどういう目線、視座から向かうのかで大きく違ったものに映るのかな、なんて思うのです。

例えば[A]
「私はとにかくチャンポン麺が好き。大好き。」

「好きだから食べる度に写真をとってしまうようになった。」

「せっかく撮影した写真だから誰が見てくれようと見てくれまいと好き勝手にブログに載せる。」

「結果としてどなたかが喜んでくれれば嬉しく、どなたかが不愉快になれば残念(ゴメン)。。」

的な思考(方向性、例えばむろさんみたいな人?)と

例えば[B]
「この町のために何かしたい。この町を良くしよう!」(と漠と思い)

仲間、同士を集う(かも知れない)

XX町のチャンポン麺普及促進協議会(空想上の名)的な団体も設立され

XX町から権威づけもされて

・・・・でどうなるんだっけ?ポスターとかイベント企画とかがされるのか?

的な方向性もあるでしょう。

大雑把に言うと[A]は「・・・のため」が明示的に現れない、と。そういうことです。
「ため」は結果としてそうなるかも知れない一つの過程くらいなのかね。
と、またしても何だか詮無いことをだらだら言ってしまってるけど私はどっちでもなーい。。。
とりあえず納税することが
・・・良くすること(この「良くする」ってのがまた曲者なんだけど)はなくても、
 悪くなることについてそれが最小限であるよう・・・
自身のできることとして精一杯。という輩なのです。

などと詮無いことをたらたらと思ったよ。

今年も残すところ10日余り。

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