第1話
「はぁ・・・ なんかいいことないかな・・・」
霞のような白い煙のたちこめる狭い喫煙所の中で、2本目の煙草に火をつけて、
どこか外国の綺麗な青いビーチの写真がついているカレンダーを見ながら、
今日も室井三郎は「なにか・・・いいこと・・・」と1人呟いている。
彼は人生で何回この言葉を呟いたのだろうか。
時には天を仰ぎ、時にはうなだれながら、何度と無くこの言葉をため息まじりで
呟く三郎は決して不幸なわけではない。
普通のサラリーマン家庭に生まれ、普通の義務教育をうけて、いじめたりいじめられたり
することもなく、不良や非行にはしることもなく、普通に受験勉強をして
普通の国立大学に入学し、親のコネで普通の企業に勤めることができた。
学生時代は普通に女子にもモテてたし、普通に恋愛をして普通に結婚することもできた。
そう簡単に倒産する企業ではないし、毎年2回ボーナスも支給され、年功序列で昇給し
家族には社宅も用意してくれる。
この不況のご時世。第三者からみればとても恵まれた環境であることも三郎は理解しているし
いま自分が置かれている環境に不満はない。
しかし、三郎の心は満たされていない。
最近、胃袋が飛び出るほど、大笑いしたことがあるだろうか?
最近、声も涙も枯れるほど、大泣きしたことがあるだろうか?
最近、夜も眠れなくなるほど、ドキドキワクワクしたことがあるだろうか?
「俺って、いつから笑ってないんだろう?」
ヤニで茶色くなった天井をみながら、無意識に3本目の煙草に火をつけた直後に
業務開始のチャイムが鳴った。 あわてて煙草をもみ消し、職場へ駆け足で戻り
「おはようございまーす!」と、朝の挨拶をして、室井三郎の1日が始まった。