「ならぬことはならぬものです」
いいですね。身に沁みます。八重の桜でもあったけど什の掟ってやつですね。
文部科学省の基本方針に据えてみるのはどうだろう。
以下取り留めなく。
手動は大学の時分はアルバイトに明け暮れていたけれどたまに授業に出ても
司馬遼太郎の「坂の上の雲」やら「翔ぶが如く」やら。
たまに早乙女貢の「会津士魂」やら。
まぁとにかく何だかそんなのばかり読み耽っておりました。
(不思議と講義中ってすんごく集中して読めたりするのよね)
司馬遼太郎さんが「小説は二十歳の自分への手紙」のようなことを何かに書いてたとような気がします。
戦中陸軍に従軍した彼は「日本はこんなアホな国だったのか?」と思ったのだそうで
昔からずっとこんなにアホだったのか。本当は違ったんじゃないか。
そんな二十歳の頃に自分が感じた疑問に答える作業として小説を書きつづった・・・
って違ってたらごめんなさい。でも。
でもそれを読んだ手動はどういうわけか「ふぅむ・・・なるほどね」と深く共感したのです。
あの頃の自分への手紙、か。
まだ取り留めなく。
大義、ってなかなか今時じゃ実感しにくいもんですよね。私自身ほとんど空想の産物です。
「私」(プライベート)を超えたところの別次元に、より優先されるべき、もっと大事な「公」(パブリック)があるって。
別段時代劇マニアではないけれど、でも確かに昔のこの国には今よりももっと濃厚にあったのかもなー
とは想像したりはするけれど。
いまどきは「私・自分(ごく身内や家庭)」だけをとにかく大切に、ってのが大手をふってたりするから
電車の中のバカげたマナーも減るわけはなく、ぎゅうぎゅう詰めの車内で自分は踏ん張ろうともせず
ただただ周囲に重心を預けるという、ほとんど達人的な立ち居眠りも蔓延しちゃうという・・・
なんて話はまぁともかく。
自分自分自分・・・自分をどこまでも肥大させていいし、肥大は称賛すらされてるかも知れない。
けれど結果的にそれって辛くなっちゃうことも多いよね、と。
時として自分を超えたところに大事なことや人があるって思えることって幸せなのかも・・・なんて思えます。
(会社だってそういう次元にあったのかも知れませんが)
もちろん昔がいいね、なんて短絡的なことじゃありません。
むしろ、自分や個を優先できることを十二分に享受できるこの時代は素晴らしい!はず。
(手動には比較対象がないから想像でしかないけど)
でも一方で、公的なものを大事にできないと、結果として実は自分という私を大事にもできない
ってことを少しばかり自覚しておかないと何だか座りが悪いかな・・・なんて思うのです。
何だかよくわからんけど、そんな感覚は案外多くの人がお持ちのようにも思えるし、
大義ってそういうことと絶妙にリンクしてるのかも知れません。
まだまだ取り留めなく。
昔、日テレ系では「年末時代劇スペシャル」とかって長編ドラマがあって・・・
たしか最初は「忠臣蔵」でその後何年か続いていたように思います。
中でもでも面白くてよく覚えてるのはやはり「白虎隊」。他では「田原坂」「五稜郭」。あとは「奇兵隊」か。
騎兵隊は別として(主演は高杉晋作役の松平健)、やっぱ基本的には里見浩太朗だよね。と。
ちなみに、白虎隊では西郷頼母を、田原坂では西郷隆盛をそれぞれ里見浩太朗が演じてたのだけど、
NHKの大河ドラマでは、今回の「八重の桜」での同役を西田敏行が、
そして随分前の大河ドラマ「翔ぶが如く」でもやはり西郷隆盛役を西田敏行が・・・と不思議な巡り合わせ?
まぁたまたまなのでしょうが。
そして取り留めなく。
今日の浦和の【ニューイヤーC】(って競馬かよ)。
7枠8番にミータローなる馬。偶然にも手動はこの名前に少なからず思い入れ(?)があり
思わず単勝と複勝を買ってみた次第。
でも6着だったらしい。ははは
以上、本当に取り留めなくお終い。